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近代美術を読む

「近代美術」の記事を16本まとめました。気になる作家や作品から読んでみてください。

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「近代美術」の作品と用語

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自分の目で見る練習

解説を閉じて、線、光、構図を自分の目で確かめます。

用語アートのことば

記事に出てきた言葉を、短い説明と作品例で調べられます。

「近代美術」の記事一覧

マネ《オランピア》

18〜19世紀 / フランス

落選、入選、独立展。三作品の出た場所は違う

1863年
《草上の昼食》は落選者展に出品
1865年
《オランピア》は公式サロンに入選

《草上の昼食》は1863年の公式サロンに落選し、落選者展へ。《オランピア》は1865年の公式サロンに入選して非難を浴びました。《印象、日の出》が掛かったのは、1874年に画家たち自身が開いた展覧会です。

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ガボンのベツィ=ファンの作家による木製の守護頭部ンロ・ビエリ

19世紀後半〜20世紀 / ヨーロッパとアフリカ

「影響を受けた」の前に、作品が渡った道を見る

移動の背景
植民地支配、探検、交易、収集を通じて作品が渡った
近代美術への接点
人物表現、抽象化、素材、造形の再検討を促した

「アフリカ美術がピカソへ影響した」と一本の矢印を引くと、作品がヨーロッパへ渡った経路が消えます。誰が持ち出し、どこで展示し、元の用途や名前をどう扱ったのか。近代美術の革新を見ながら、その出会いを作った植民地支配、収集、市場にも目を向けます。

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船上の人物と階段やロープを切り取ったスティーグリッツ《三等船室》

1839年〜20世紀初頭 / ヨーロッパ・アメリカ

写真の発明は絵画をどう変えた?切り取り・複製・近代の視覚

転換点
1839年に複数の写真方式が公に紹介された
視覚の変化
偶然の切り取り、瞬間、複製可能な像が広がる

1839年に写真術が公表されたあとも、写実絵画は作られました。写真家は絵画の構図や光を学び、画家は写真を資料に使い、画面の端で人物が切れるような見え方も試します。『写真が写実を引き受け、絵画が自由になった』という一行では収まらない往復をたどります。

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エドゥアール・マネ《フォリー=ベルジェールのバー》

作品ガイド

鏡のずれから読む《フォリー=ベルジェールのバー》

女給は正面に立っています。ところが背後の鏡では、彼女の姿も客の位置も右へずれています。間違い探しのように答えを出しても、この絵の落ち着かなさは消えません。マネは、盛り場を見物する私たちの視線そのものを、少しだけ滑らせています。

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エドゥアール・マネ《オランピア》

作品ガイド

《オランピア》は、なぜ当時の観客を怒らせたのか

作品
エドゥアール・マネ《オランピア》
制作と発表
1863年制作、1865年のサロンに出品

白い寝台に横たわる女性が、こちらをまっすぐ見返しています。《オランピア》は、マネが1863年に描き、1865年のサロンへ出品した裸婦像です。モデルはヴィクトリーヌ・ムーラン。

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ジュリア・マーガレット・キャメロン《Ophelia, Study No. 2》

19世紀末〜20世紀初頭 / 欧米

輪郭を消すことも、写真家の仕事だった

頬の輪郭が少し甘い。雪の向こうで馬車が消えかける。いまなら撮り直したくなる像を、19世紀末の写真家たちは完成作として差し出しました。カメラが自動で現実を写すだけの機械なら、どこにピントを置き、どんな紙に刷り、どこまで手を加えるのか。

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アルフレッド・スティーグリッツ《Winter, Fifth Avenue》

1890年代〜1910年代 / アメリカ

写真を撮り、雑誌を作り、展示室を開いたスティーグリッツ

吹雪の五番街を撮り、船の甲板を幾何学的な構図へ変え、写真雑誌を編集し、ギャラリーも運営する。スティーグリッツの仕事は一枚の写真に収まりません。写真を撮ることと、作品として見せる場所を作ることを同時に進めました。

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アルフレッド・スティーグリッツ《The Steerage》

19世紀半ば〜20世紀前半 / 写真

写真がアートになる瞬間:記録と表現のあいだをどう見る?

写真には、カメラの前にあったものが写ります。ただし、撮影者の背後やフレームの外は見えません。同じ街角でも、立つ場所とシャッターを切る時刻で別の一枚になります。写真を見るときは、写った事実を確かめたあと、その範囲を誰がどう選んだかへ進みます。

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ジャック=ルイ・ダヴィッド《ホラティウス兄弟の誓い》

17世紀後半〜19世紀後半 / フランス

入選か落選か。画家の運命を握ったパリ・サロン

何だった?
存命作家の作品を審査し、一般公開するフランスの公的展覧会
始まり
1667年に初開催。1737年から定期的な展覧会になる

入選しても、絵が天井近くに掛けられれば見てもらいにくい。よい位置に展示され、批評で名を挙げられ、国に買い上げられれば次の仕事につながる。19世紀のパリ・サロンは、作品発表と就職活動と市場が重なったような場所でした。

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ポール・セザンヌ《サント=ヴィクトワール山》

19世紀末 / ヨーロッパ

同じ印象派から、三人は別の方向へ進んだ

ゴッホは病室の窓から見た景色をそのまま写さず、夜空と村を組み替えました。スーラは細かな色点に加え、動かない人物の並びまで計画しました。セザンヌは山と空の境を閉じず、白い下地も残しています。

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アルフォンス・ミュシャ《ゾディアック》

1890-1910年代 / ヨーロッパ

アール・ヌーヴォー入門:美術とデザインが一体化した時代

髪の毛、花の茎、ポスターの縁。アール・ヌーヴォーの線は、途中で切れずに次の形へ流れていきます。その線は額の中に収まらず、椅子や照明、建物の入口にも伸びました。絵画の様式というより、暮らす場所を丸ごと新しく見せようとした運動です。

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エドゥアール・マネ《オランピア》

19世紀後半 / フランス

1863年、落選作にも観客が集まった

1863年、パリ・サロンの落選作を見せる別会場が開かれました。そこに掛かったマネ《草上の昼食》には、観客の笑いも批判も集まります。作品を選ぶ審査員の外側に、観客が自分で判断できる場所ができた。

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エドゥアール・マネ《草上の昼食》

19世紀後半 / フランス

古典の構図を、1863年のパリへ持ち込んだマネ

《草上の昼食》では裸婦が森からこちらを見返し、《オランピア》では女性が寝台の上で視線を返します。どちらも古典絵画を参照しながら、神話の安全な距離を外し、同時代のパリへ置き換えました。

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