「新しい美術」は、店の名前から広まった

Art Nouveau という呼び名は、1895年にパリで開いた店「メゾン・ド・ラール・ヌーヴォー」と結びついて広まりました。店主はジークフリート・ビング。新しい様式は、美術館より先に品物を選び、並べ、売る場所で人の目に触れました。

1900年のパリ万博などを通じて曲線的な意匠は各地へ届きます。ただし、どこでも同じ形になったわけではありません。フランス、ベルギー、オーストリアでは、それぞれの建築や工芸に合わせて違う姿を取りました。

曲線は、絵の額縁で止まらない

ポスターの文字、椅子の背、ランプの支柱、階段の手すり。用途の違う物に、植物の茎や波を思わせる線が繰り返されます。絵も家具も照明も、同じ空間をつくる一部として考えられていました。

作品を見るときは、中央の人物から縁まで目を動かしてみてください。髪が飾り枠につながり、花が文字を囲み、余白まで一つのリズムに組み込まれています。

ミュシャは街角へ、クリムトは画面の内側へ

ミュシャのポスターでは、女性の輪郭と大きな文字が遠くからでも目に入ります。広告として読めることを保ちながら、髪や花を画面いっぱいに巡らせました。街を歩く人の足を止める線です。

クリムト《接吻》では、二人の身体が金色と文様の中へ溶けていきます。ミュシャの装飾が情報を伝えるなら、クリムトの文様は触れ合う場面を現実から少し遠ざけます。同じ曲線や文様でも、置かれた場所で役目が変わります。

浮世絵の平らな色面も、新しい線の材料になった

19世紀後半のヨーロッパでは、浮世絵の大胆な切り取りや、輪郭で区切った平らな色面が盛んに参照されました。広重の雨や橋を見ると、線が形だけでなく画面の速さまで作っていることが分かります。

ミュシャの作品と並べるなら、題材の一致よりも輪郭と余白の使い方を比べます。遠近法で奥行きを深く見せなくても、一枚の画面を強く保てる。その発見が近代のポスターや装飾に生かされました。

ポスターの縁から、曲線を一本追う

最初に曲線を一本選びます。髪から花へ、花から枠へと続くなら、どこで目が止まり、どこで次の形へ渡るかを追ってみましょう。飾りに見えた線が、画面を読む順番も決めています。

ミュシャのポスターでは、文字を手で隠したときと、人物を隠したときで印象がどう変わるでしょうか。情報と装飾が互いを支えていることが分かります。クリムトでは、同じ文様が人物の感情を包むために使われています。

作品で見る

アルフォンス・ミュシャ《ゾディアック》
ゾディアック / アルフォンス・ミュシャ(1896-1897年頃)
髪、花、円形の枠が一続きの線を作るポスター
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グスタフ・クリムト《接吻》
接吻 / グスタフ・クリムト(1907-1908年)
二人の身体を金地と文様の中へ包み込んだ作品
画像を拡大画像出典
歌川広重《大はしあたけの夕立》
大はしあたけの夕立 / 歌川広重(1857年)
斜めの雨と大胆な切り取りが画面の速さを作る浮世絵
この作品の解説画像を拡大画像出典

よくある質問

アール・ヌーヴォーは絵画運動ですか?
絵画も含みますが、ポスター、家具、ガラス工芸、建築までまたいだ運動です。額の中だけを見ると、アール・ヌーヴォーの広がりを半分しか捉えられません。
アール・デコとの違いは?
植物のような曲線が目立つアール・ヌーヴォーに対し、後のアール・デコでは直線や幾何学形が前へ出ます。建物やポスターの輪郭を比べると見分けやすいです。
最初に見るならミュシャとクリムトどちら?
街のポスターとしての働きを見たいならミュシャ、金色や文様が感情をどう包むか見たいならクリムトからどうぞ。二人を続けて見ると、装飾の役目の違いがはっきりします。

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