何を描いた?新大橋と安宅を襲う突然の夕立です
正式には《名所江戸百景 大はしあたけの夕立》。広重が晩年に手がけた江戸名所シリーズの第58景で、1857年9月に刊行されました。手前を横切るのが隅田川の新大橋、その対岸が安宅と呼ばれた一帯です。
橋の上では、笠や蓑を着けた人々が突然の雨から逃れるように急いでいます。川面には木材を運ぶ筏と、それを竿で操る船頭が一人だけ描かれます。
場所の案内図ではなく、橋、川、対岸を異なる奥行きに置き、そこへ同じ雨を通すことで、江戸の一地点に起きた数分間の天候を見せています。
「夕立」の意味:急に暗くなり、激しく降って晴れる夏の雨です
ブルックリン美術館は、この「夕立」を、夏の一日の遅い時間に空が急に暗くなり、大粒の雨が激しく降ったあと、すぐに晴れる雷雨と説明しています。
画面上部の黒い雲と、遠景を隠す灰色の雨が降り始めの急変を示します。橋の人々は細かな表情ではなく、笠、蓑、前傾した姿、急ぎ足だけで反応を伝えます。
一方、筏の船頭は川の途中で雨宿りできません。橋の上と川面で対応が違うため、夕立が風景の飾りではなく、人の行動を変える出来事だとわかります。
雨はどう描いた?交差する細線を木版で重ねています
画面をよく見ると、雨は一方向の平行線ではありません。角度や濃さの違う細い斜線が交差し、網のような雨の層をつくっています。
メトロポリタン美術館は、この細線が木版では難しい技法だったと説明しています。絵具で線を描き足したのではなく、彫りと摺りの工程を通して、細い雨脚を画面全体へ途切れず重ねる必要があるからです。
線を一本ずつ見るより、橋の人物、川、対岸のすべてに同じ線がかかる様子を見ると、雨が奥行き全体を包む幕として働いていることがわかります。
近くで切れる橋と広い川が、雨の速度を強めます
手前の橋は左右の画面外へ続き、全体像を見せません。大きく近い橋を途中で切る構図により、鑑賞者も橋のすぐそばに立っているように感じます。
そこから目を奥へ送ると、青灰色の隅田川が一気に広がり、遠景は雨に薄く隠れます。近い橋の強い輪郭と、遠い岸の弱い輪郭が、雨の厚みをつくります。
橋の横方向、人々の進行方向、雨の斜め方向がぶつかるため、画面は静止しません。雨の音まで想像できるのは、雨粒の写実より、複数の方向を組み合わせた設計が効いているからです。
ゴッホは1887年、この構図を油彩で模写しました
ゴッホは広重の浮世絵を収集し、《大はしあたけの夕立》をもとに《雨の橋(広重を模して)》を1887年に描きました。橋、人物、筏、雨線という基本構図をほぼ保ちながら、木版画を油彩へ移しています。
ゴッホ美術館によれば、ゴッホのキャンバスは原作より横長だったため、左右に橙色の帯を加え、そこへ日本語風の文字を置きました。色も広重の版画をそのまま複製せず、赤、青、黄などを強めています。
最初は橋の人物、次に交差する雨線、筏の船頭、暗い雲の順に見てください。その後でゴッホ版と比べると、広重の余白、抑えた色、木版の細線がどれほど緊張感を生んでいたかが見えてきます。
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橋の角度と斜めの雨線がぴたりと噛み合い、静止画なのに急ぎ足の時間まで見えてくる広重の代表作
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北斎が波で押し切るのに対して、広重は雨の線で景色全体の速度を変える。並べると天候の扱いの差がよく見える
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雨を線で刻む広重と、蒸気と大気でにじませるターナー。気象を動きへ変える別のやり方が見えてくる
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よくある質問
- 《大はしあたけの夕立》は何を描いた浮世絵ですか?
- 隅田川に架かる新大橋と対岸の安宅を、突然の夏の夕立が襲う場面です。橋を急ぐ人々と、川で筏を操る船頭が描かれています。
- 《大はしあたけの夕立》の「夕立」とは何ですか?
- 夏の午後から夕方に空が急に暗くなり、激しく降ったあと短時間で晴れる雨です。作品は暗い雲、雨脚、急ぐ人々で、その急変を表しています。
- 広重は雨をどう描いたのですか?
- 角度や濃さの違う細い斜線を交差させ、網のような雨の層を木版で表しました。木版画では難度の高い技法です。
- 《大はしあたけの夕立》はどのシリーズの作品ですか?
- 歌川広重が晩年に制作した《名所江戸百景》の第58景です。1857年9月に刊行されました。
- 《大はしあたけの夕立》はゴッホに影響を与えましたか?
- はい。ゴッホは1887年に、この版画をもとに油彩の《雨の橋(広重を模して)》を制作しました。
- 《大はしあたけの夕立》は、なぜ有名なのですか?
- 難しい木版の雨線、大胆に切れた橋、急ぐ人々を組み合わせ、突然の雷雨を音や身体感覚まで想像できる場面にしたからです。



