本文に出てくる美術用語

絵肌インパスト

インパストは、絵の具を比較的厚く置いて、表面に凹凸をつくる技法です。色と絵肌の両方が、見え方や空気感を左右します。

1910年、ロジャー・フライが展覧会名に使った

『ポスト印象派』は、画家たちが結成した団体の名前ではありません。批評家ロジャー・フライが1910年、ロンドンで開いた『マネとポスト印象派』展のために使い、広まった呼び名です。ゴッホは1890年、スーラは1891年に亡くなっており、この名で活動したことはありません。

共通する一つの描き方もありません。印象派が広げた明るい色や分割した筆触を知りながら、各人が別の問題に取り組んだ。その緩やかな枠だと考えると、三人の違いを無理に一語へ縮めずに済みます。

ゴッホ:窓からの眺めと、記憶や想像を混ぜる

《星月夜》は、サン=レミの療養院の窓から見た景色を手がかりにしています。ただし、夜空を目の前で一気に写した絵ではありません。日中に複数回かけて描かれ、画中の村は窓から見えず、糸杉も実際より手前へ寄せられています。

渦巻く空だけを『感情』と呼ぶと、画家の具体的な選択が見えなくなります。まず黄色い星と月、それを囲む青い筆触、下の村の直線を見比べる。観察した景色と、記憶や想像で足したものが同じ画面に共存しています。

スーラ:色点と、人々の間隔を見る

《グランド・ジャット島の日曜日の午後》では、純色に近い小さな筆触が隣り合い、離れて見ると色が混ざって感じられます。1886年、第8回にして最後の印象派展で発表されました。

近づいて色点を見たら、数歩下がって人物の間隔も見ます。立つ人と座る人はほとんど動かず、垂直線と水平線が反復します。光の効果を試す実験と、時間が止まったような人物配置が同居しているところが、この絵の妙です。

セザンヌ:山の輪郭を一本の線で閉じない

《レ・ローヴから見たサント=ヴィクトワール山》では、青や緑の短い筆触が山、空、木をまたぎます。山の輪郭が途切れ、白い下地が残るため、奥行きは一度で固まりません。

セザンヌは古典的な一点透視図法の整合性より、色と物の関係を優先しました。後のキュビスムが学んだのは、自然を単純な形へ置き換える公式というより、ひとつの視点に画面を従わせない態度でした。

空、人物の縁、山の境界を同じ順で見る

三作を同じ手順で見ます。入口は空や背景の筆触。そこから人物や物の縁へ移り、手前と奥の境界までたどります。ゴッホでは空が動き、スーラでは人物の縁が細かな色へ分かれ、セザンヌでは山と空が混ざります。

『ゴッホは感情、スーラは秩序、セザンヌは構造』と暗記すると簡単ですが、作品はそれほど単純ではありません。三人とも観察と計画を行い、画面を組み替えています。違うのは、どこを残し、どこを変えたかです。

作品で見る

渦巻く夜空を描いたゴッホの作品
星月夜 / フィンセント・ファン・ゴッホ(1889年)
窓からの眺めに、実際には見えない村と近くへ寄せた糸杉を組み合わせた
この作品の解説画像を拡大画像出典
点描で描かれたスーラの大作
グランド・ジャット島の日曜日の午後 / ジョルジュ・スーラ(1884-1886年)
隣り合う色点と、静止した人々の間隔を一緒に見たい大画面
この作品の解説画像を拡大画像出典
セザンヌ《サント=ヴィクトワール山》
レ・ローヴから見たサント=ヴィクトワール山 / ポール・セザンヌ(1904-1905年)
山、空、木をまたぐ筆触と、残された白い下地に注目したい
画像を拡大画像出典

よくある質問

ポスト印象派は1つの様式ですか?
一つの様式でも、画家が結成した団体でもありません。1910年にロジャー・フライが展覧会名へ使い、印象派の後に続く複数の画家をまとめる呼称として広まりました。
なぜゴッホとスーラは同じ分類なの?
二人が同じ画風だからではありません。印象派以後のフランス美術を説明するために、後世の美術史が同じ大きな枠で扱ってきたからです。
次にたどるならどの時代が追いやすい?
セザンヌとキュビスム、ゴッホと20世紀の表現主義を見比べると、後の画家が何を受け取ったかを具体的に追えます。

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