アレは粒子、ブレは動き、ボケは焦点

粒子が目立ち、明暗の境目までざらつくのが「アレ」。露光中にカメラか被写体が動き、輪郭が一定方向へ流れるのが「ブレ」。ピント面から外れ、輪郭が柔らかく広がるのが「ボケ」です。

白黒で見づらい写真を一括して呼ぶ言葉ではありません。街灯の輪郭はぼけているのか、歩く脚だけがぶれているのか、空にも粒子が出ているのか。三か所を見れば、どの効果が強いか判別できます。

三つを全部そろえる決まりはない

アレ・ブレ・ボケは、撮影時に必ず守る三点セットではありません。強い粒子だけの写真、動く車窓から撮って像が流れた写真、被写体の一部だけ焦点を外した写真もあります。

三つを数えて点数をつけると、写真ごとの差が消えます。手ぶれなら流れた向き、ボケなら焦点が残った場所、粒子なら暗部と明部の差を見る。効果が現れた場所から、撮影した身体や光の条件を想像できます。

『PROVOKE』と同義ではない

この呼び方は1960年代末の日本写真を説明する際に広まり、全3号の同人誌『PROVOKE』と強く結びつきました。ただ、『PROVOKE』は写真だけの様式名ではありません。批評文と編集を含む雑誌です。

森山大道も創刊号には参加しておらず、第2号から加わりました。年代やメンバーを確かめると、「森山=アレ・ブレ・ボケ=PROVOKE」という一直線の説明から離れられます。

森山大道自身は、政治的メッセージを否定した

当時の日本では反戦運動や学生運動が広がり、『PROVOKE』も政治的な時代と無関係ではありません。ただし写真一枚から、作者の政治的立場まで自動的に読み取ることはできません。

森山はSFMOMAのインタビューで、まっすぐな政治的メッセージを表そうとはしなかったと話しています。すべてを疑い、苛立っていたとも振り返りました。写真の荒れを一つの主張へ翻訳せず、その写真が何を写し、何を判別しにくくしたかを先に見ます。

一枚を見るなら、残った輪郭を探す

画面全体が崩れて見えたら、読める看板、止まった柱、白く残った顔など、輪郭のある場所を一つ探します。そこを基準にすると、ほかの像がどちらへ流れ、どの奥行きでぼけたかが見やすくなります。

粒子は画面全体に出ているか。ぶれは縦か横か。焦点は手前と奥のどちらに残ったか。感想を言葉にする前にこの三点を確かめれば、「なんとなく荒々しい」で終わらず、写真ごとの違いを話せます。

関連資料でたどる

代表作に加え、アレ・ブレ・ボケが後からどう読まれてきたかをつかめる関連資料も載せています。

LE BALでのProvoke展の展示風景
Vue de l'exposition "Provoke" au BAL / LE BAL Paris2016年
2016年の展示風景。雑誌の見開きと写真作品を同じ会場で読み直しています。
画像を拡大画像出典
テート・モダンでの森山大道とマーティン・パー
Daido Moriyama and Martin Parr / titus_alone2012年
2012年、テート・モダンで撮影された森山大道とマーティン・パー。
画像を拡大画像出典

よくある質問

アレ・ブレ・ボケは、ただの下手な写真ではないのですか?
意図や制作条件を見ずに下手と決めることはできません。粒子、動き、焦点のどれが崩れ、画面のどこに鮮明さが残っているかを確かめてください。
アレ・ブレ・ボケと『Provoke』は同じ意味ですか?
同じではありません。『PROVOKE』は全3号の同人誌、アレ・ブレ・ボケは1960年代末の日本写真と結びつく見え方の呼称です。
最初の見方として何を意識すればいいですか?
輪郭が残った場所を一つ探し、粒子、流れた方向、焦点の位置を順に確かめてください。三つのうち、どの効果が強いか判断しやすくなります。

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