瓶の傷、街の粒子、雑誌の見開きから始める

入口にしたいのは、東松照明が寄って撮った物の表面、森山大道のざらつく街路、雑誌『Provoke』の黒い誌面です。三つは同じ見た目ではありません。それでも、世界を整った一枚に収めない点でつながっています。

敗戦、占領、急速な都市化、アメリカ文化の流入。街の姿も価値観も、短い期間に何度も変わりました。写真家は大きな歴史を説明する代わりに、瓶、皮膚、看板、舗道へカメラを近づけます。そこには変化に追いつけない感覚まで写っています。

東松照明は、基地と長崎に残った表面へ寄る

SFMOMAは東松照明を、戦後日本とアメリカの曖昧な関係を早くから深く掘り下げた写真家と位置づけています。1974年にニューヨーク近代美術館で開かれた『New Japanese Photography』でも、東松は若い世代をつなぐ中心に置かれました。

東松の写真では、基地の周辺、長崎に残った品、皮膚の傷が大きく写ります。出来事の全景を見せる写真ではありません。歴史に触れた物へ顔を近づけ、その表面が何を残しているかを確かめるような距離です。

写真集では、隣り合う二枚が意味を変える

新しい写真は、美術館の壁より先に雑誌や本で広がりました。『カメラ毎日』『アサヒカメラ』などの写真誌があり、作家は紙、印刷、ページの順番まで使って作品を組みます。SFMOMAの研究プロジェクトも、写真集をこの時代の重要な発表場所として扱っています。

見開きで二枚がぶつかる。白いページを挟んで急に静かになる。黒の濃い写真が何ページも続く。一枚だけを画像検索すると、この速さは消えてしまいます。本を手に取れたら、解説はあとにして、最初から最後まで一度めくってみてください。

『Provoke』には、鮮明な写真だけでは足りなかった

『Provoke』は1968年に創刊され、3号まで刊行されました。中平卓馬や多木浩二らが始め、森山大道は第2号から参加します。粗い粒子、手ぶれ、ピントの外れは、変わり続ける現実を従来の写真言語で伝えられるのかという疑いと結びついていました。

画面が見づらいとき、その苛立ちを急いで消す必要はありません。何が写っているのか、なぜ傾いたままなのか、黒くつぶれた場所に何があるのか。写真が情報を渡す道具なら、これほど不親切な画面を選んだ理由そのものが読みどころになります。

東松から森山へ、雑誌を一冊はさんで見る

東松と森山を一枚ずつ比べたら、間に『Provoke』の見開きを置いてみます。東松が物へ寄った距離、誌面で写真がぶつかる速さ、森山が街を切り取る角度が、一本の直線ではないままつながります。

気になった写真について、撮影地と発表された本を調べるのも有効です。同じ一枚でも、壁に掛かったときと、薄い紙へ印刷されたときでは黒の見え方が変わります。作家名に加えて、写真がどこで読まれたかを覚えておくと、戦後日本写真の輪郭が残ります。

関連資料でたどる

掲載しているのは、展覧会風景と作家の記録写真です。著作権に配慮しながら、各館の展示と写真集へ進む入口を用意しました。

森山大道と東松照明の展覧会ファサード
Moriyama – Tomatsu ; Tokyo / Maison européenne de la photographie 展覧会ファサード2021年
パリのヨーロッパ写真美術館で開かれた東松照明・森山大道展の外観。二人の名前が同じ入口に並ぶ
画像を拡大画像出典
LE BALでのProvoke展の展示風景
Vue de l'exposition "Provoke" au BAL / LE BAL Paris2016年
パリのLE BALで開かれた『Provoke』展。壁面と中央の展示台に雑誌や資料が並ぶ
画像を拡大画像出典
テート・モダンでの森山大道とマーティン・パー
Daido Moriyama and Martin Parr / titus_alone2012年
2012年、テート・モダンでの森山大道とマーティン・パー。写真集を重視する二人が同じ会場に立つ
画像を拡大画像出典

よくある質問

戦後日本写真は、最初に誰を見るとよいですか?
東松照明と森山大道を一人ずつ見るのがおすすめです。東松では基地や長崎に残った物、森山では街路の粒子と切り取り方に注目してください。そのあと『Provoke』の誌面を見ると、二人の距離も分かります。
全部が暗くて難しそうに見えます。
粒子、傾き、人物との距離のうち、気になったものを一つ選んでください。写っている物を完全に判別できなくても、その見づらさが意図とどう結びつくかを考えれば十分に見始められます。
写真集や雑誌も見た方がいいですか?
はい。写真の順番、余白、紙質、印刷の黒まで作品の一部になります。図書館や美術館の閲覧コーナーで見つけたら、途中を飛ばさず一度通してめくると、画面上の画像とは違うリズムを感じられます。

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