人が写っていなくても、通りの写真になる

街で撮った写真をすべて同じジャンルへ入れることはできません。それでも、街路や交通機関などの公共空間で、演出されていない日常を拾う写真はストリート写真として語られてきました。境界はドキュメンタリー写真や都市景観と重なります。

人物は必須ではありません。閉まった店、窓の反射、濡れた路面にも、その場所を使う人の生活が残ります。瞬間的な身振りを待つ写真も、同じ街角を静かに記録する写真もあります。

アジェは、人形の顔を画面の外へ置いた

《Avenue des Gobelins》の中央には白い服のマネキンが立っています。首から上は画面の外です。左のガラスには向かい側の建物が映り、棚の商品と街の反射を一度に見せます。

アジェは約35年にわたってパリを撮り、建物や店、古い街路の記録を売って生計を立てました。現在の意味で瞬間を狙うストリート写真家とは少し違います。それでも、街の表面に生活と時代を見つけた先駆者として、後の写真家へ大きな入口を残しました。

小型カメラが、雪の街で動ける距離を変えた

スティーグリッツは1893年の《The Terminal》を、小型の4×5インチカメラで撮りました。当時の大きな三脚付きカメラより街を動きやすく、馬車の御者が馬へ水をやる場面に素早く応じられました。

《Winter, Fifth Avenue》では、雪にかすむ馬車がこちらへ進みます。画面の情報は少ないのに、待った時間と寒さが伝わります。シャッターの速さに加え、立った場所と被写体までの距離が街の見え方を決めています。

エヴァンスは、店先の顔写真を正面から撮った

《Penny Picture Display》には、安価な肖像写真を並べたスタジオの見本が写っています。エヴァンスは客の表情を追わず、顔写真の格子と店の看板をほぼ正面から受け止めました。街にあふれる既製の写真を、もう一度写真にした一枚です。

アジェではガラス越しの反射、スティーグリッツでは雪と蒸気、エヴァンスでは文字と格子が画面を組み立てます。同じ「街の写真」でも、撮影者が何を街の顔と考えたかは違います。

中央を見る前に、四隅を一周する

人物の顔へ急がず、左上から四隅を一周します。途中で切れた看板、道路へ伸びる影、窓に映った別の建物。端に残されたものが、中央の人物や物とどうつながるか見てください。

そのあとカメラの高さと距離を想像します。一歩前なら何が消え、一歩後ろなら何が増えるでしょうか。最後に、あと一秒早い写真と遅い写真を思い浮かべる。偶然に見えた一枚から、撮影者が選んだ位置と時間が浮かびます。

作品で見る

アルフレッド・スティーグリッツ《Winter, Fifth Avenue》
Winter, Fifth Avenue / アルフレッド・スティーグリッツ1893年
吹雪の奥から馬車が近づく。雪が建物と人影を消し、車輪の進む方向だけを残す
画像を拡大画像出典
アルフレッド・スティーグリッツ《The Terminal》
The Terminal / アルフレッド・スティーグリッツ1893年
御者が馬へ水をやり、冷気の中へ蒸気が上がる。小型カメラで街を歩いたスティーグリッツの一枚
画像を拡大画像出典
ウォーカー・エヴァンス《Penny Picture Display》
Penny Picture Display / ウォーカー・エヴァンス1936年
証明写真店の見本を正面から撮影した。小さな顔の格子と店の文字が、街の表面をつくる
画像を拡大画像出典

よくある質問

ストリートフォトは、決定的瞬間だけを狙うものですか?
いいえ。人の身振りが重なる一瞬を捉える写真もあれば、アジェの店先のように、動きの少ない場所を記録する写真もあります。位置と時間をどう選んだかを見る方が、狭い定義に当てはめるより役立ちます。
人があまり写っていなくても、ストリートフォトになりますか?
なります。看板、窓、路面、残された商品からも公共空間の使われ方は読めます。ただし、都市景観や建築写真との境は重なり、作品や写真家によって分類が変わります。
最初はどこに目を置くと見やすいですか?
画面の四隅を一周し、切れた看板や影を探してください。続いてカメラの高さを想像します。中央の人物を説明する前に周囲を見ると、その一瞬が成立した場所まで読めます。

作家・時代・見方を選ぶ

同じテーマ写真

同じテーマの記事をまとめています。

ほかの記事を探す

作品・作家

近い作品・作家の記事

同じ作家や時代を扱う記事です。

ドロシア・ラング《Toward Los Angeles, California》

実践ガイド

アート写真とは?作品として見る写真の意味と見方

アート写真
写真を、記録だけでなく作品として見せる表現
作品性
構図、プリント、展示、シリーズ、作者の意図まで含めて設計する

道路を歩く二人と、その横で『次は列車を』と勧める広告。ドロシア・ラングの写真は現実の記録ですが、人物と文字をどこへ置くかも周到です。アート写真は、特別に美しい被写体を撮ることより、写った現実をどう作品として見せるかに関わります。

記事を読む
アルフレッド・スティーグリッツ《The Steerage》

19世紀半ば〜20世紀前半 / 写真

写真がアートになる瞬間:記録と表現のあいだをどう見る?

写真には、カメラの前にあったものが写ります。ただし、撮影者の背後やフレームの外は見えません。同じ街角でも、立つ場所とシャッターを切る時刻で別の一枚になります。写真を見るときは、写った事実を確かめたあと、その範囲を誰がどう選んだかへ進みます。

記事を読む
ウジェーヌ・アジェ《Rue Mouffetard》

1900年代〜1920年代 / パリ

ウジェーヌ・アジェとは? 静かなパリの写真が残したもの

《Rue Mouffetard》に写るのは、店先の野菜と値札、石畳の通りです。営業が始まる前の湿った空気や、これから人が通る気配まで残っているように見えます。アジェが記録した古いパリには、誰かがいなくなったあとのような時間が流れています。

記事を読む

アート写真とは何か、ストリート写真とドキュメンタリー写真はどう違うか。混同しやすい写真の言葉から読めます。

特集の記事をすべて見る
ウジェーヌ・アジェ《15, rue Maître-Albert》

実践ガイド

写真は、撮った瞬間だけでは作品にならない

シャッターを切ったあとも、写真は完成していません。どの一枚を選ぶか。どこまで切り取るか。小さく手元で見せるか、大きく壁へ掛けるか。複数枚なら、どんな順番にするか。現実を写した画像が作品になる過程には、撮影後の判断も深く入っています。

記事を読む
ウォーカー・エヴァンス《Penny Picture Display》

比較ガイド

街角の一瞬と、社会の記録はどう違う?

ドキュメンタリー写真
現実の出来事や社会の状況とどう向き合うかを残す写真
ストリート写真
街で起きる偶然の配置や視線の交差を捉える写真

通りで撮られた写真を見て、ストリート写真だと思ったらドキュメンタリーと紹介されていた。そんなことは珍しくありません。撮影場所だけで二つを分けることはできず、実際に重なり合っています。

記事を読む
細江英公の回顧展バナーが掲げられたケルン日本文化会館

1945年以後 / 日本写真

傷、都市、雑誌から見る戦後日本写真

溶けて変形した瓶、夜の街に光る看板、黒がつぶれた雑誌の見開き。戦後日本写真には、きれいに説明しきれないものが残っています。東松照明は基地や長崎へ向かい、森山大道はカメラを持って街路を歩きました。

記事を読む

テーマを広げる

関連するテーマ

同じタグや視点を持つ記事をまとめました。

エドワード・スタイケン《The Flatiron》

作品ガイド

撮ったのは1904年。色を重ねたのは1909年

ニューヨークのフラットアイアン・ビルを写したのは1904年。このページで見る青緑の一枚をスタイケンが刷ったのは1909年です。プラチナ・プリントの上へ、顔料を混ぜた感光性の液を何層も重ねました。

記事を読む
ジュリア・マーガレット・キャメロン《Ophelia, Study No. 2》

19世紀末〜20世紀初頭 / 欧米

輪郭を消すことも、写真家の仕事だった

頬の輪郭が少し甘い。雪の向こうで馬車が消えかける。いまなら撮り直したくなる像を、19世紀末の写真家たちは完成作として差し出しました。カメラが自動で現実を写すだけの機械なら、どこにピントを置き、どんな紙に刷り、どこまで手を加えるのか。

記事を読む
ジュリア・マーガレット・キャメロン《The Kiss of Peace》

1860年代〜1870年代 / イギリス

ぼけた輪郭が、人物の息づかいを近づける

《The Kiss of Peace》を見ると、最初に気づくのは柔らかな焦点です。ところが見続けているうちに、輪郭よりも二人の頬の近さが気になってきます。細部は薄い。

記事を読む

参照した資料