本文に出てくる美術用語
「知っている絵」なのに、いつもの速さで見られない
スープ缶、新聞写真、コミック、映画スター。作品名を読まなくても、何が描かれているかはすぐ分かります。ところが缶は一個で終わらず、顔は色を変えて何度も現れ、漫画の一コマは壁いっぱいに広がります。
作家が商品を好きなのか、消費社会を批判しているのかは、一枚だけでは決めきれません。その煮え切らなさも作品の一部です。明るい色を楽しみながら、自分が毎日どれだけ同じ像を見ているかにも気づかされます。
「ポップ」は、まず1950年代のイギリスで語られた
ポップアートの話は、1960年代のニューヨークだけでは始まりません。1950年代半ばのイギリスでは、若い作家や批評家が広告、映画、SF、アメリカの商品文化を研究していました。その後、アメリカでウォーホルやリキテンスタインらの作品が大きく展開します。
戦後、テレビや雑誌、看板は日常の視界を埋めました。名画より商品ラベルを見る回数の方が多い人もいます。作家たちは、その時代に実際によく見られていた像を画廊へ持ち込み、高級美術と大衆文化の境を揺らしました。
32枚のスープ缶は、すべて手で描かれている
《Campbell's Soup Cans》は、当時売られていた32種類のスープに対応する32枚組です。1962年の初展示では、食料品店の商品と同じように棚へ一列に置かれました。一枚なら缶の絵でも、32枚続くと売り場の景色になります。
印刷物のように見えますが、この32枚は手描きです。投影した下絵をなぞり、缶の下端の模様はスタンプで入れました。赤の濃さや黒い影には小さな違いがあります。機械のようにそろえようとした手仕事を探すと、反復が急に人間くさく見えます。
《Whaam!》の爆発は、二枚の画面をまたぐ
《Whaam!》のもとになったのは、1962年に刊行された戦争コミックです。リキテンスタインは構図を組み替え、左に攻撃する戦闘機、右に爆発を置きました。視線は発射された弾と一緒に、二枚の境を越えます。
赤、黄、青、太い黒線、印刷の網点をまねたベンデイ・ドット。題材は激しいのに、表面は平らで、筆の勢いがほとんど見えません。爆発を大きくしたのに痛みは遠いままです。漫画なら読み飛ばす一瞬を長く見せることで、興奮の作られ方まで露出します。
一番そろっていない缶を探す
ウォーホルの缶は、まず遠くから列として見ます。そのあと一枚ずつラベルを読み、赤の色、影、下端の模様が周りと違う缶を探してください。完全な複製に見えた列へ、手描きのむらが戻ってきます。
《Whaam!》では、左の機首から弾の軌道を追い、右の爆発で止まります。漫画のページなら何秒で通り過ぎる場面でしょうか。元の場所、作品の大きさ、見る時間。この三つを比べれば、「派手で分かりやすい」だけでは終わりません。
作品で見る
よくある質問
- ポップアートは、ただポップで楽しい美術なのですか?
- 明るい色と知っている題材は入口になります。ただし、同じ商品が何度も並ぶ退屈さや、戦争の爆発さえ平らな画像として消費する距離も残ります。楽しいか批判的か、どちらか一方へ決めなくて構いません。
- 抽象表現主義のあとにポップアートが出てくるのはなぜですか?
- 抽象表現主義が大きな身振りや筆触を前面に出したのに対し、ポップの作家は広告や商品など、すでに社会を流通している像を選びました。ただし、きれいに交代したわけではなく、1960年代には複数の動きが重なっています。
- 最初は何から触れるとよいですか?
- 《Campbell's Soup Cans》を遠くから一列として見て、近くで缶ごとの差を探してください。続いて《Whaam!》で、左から右へ視線が進む速さを比べると、反復と拡大という二つの方法をつかめます。





