シュルレアリスムの写真は、『ありえないもの』より『ありえるのに変なもの』が強い

絵画のシュルレアリスムというと、夢のような不思議な光景を思い浮かべやすいです。写真では少し事情が違います。そもそも現実を写すメディアなので、完全に空想へ飛ぶより、現実の中にある小さなずれが強く効きます。

だから写真とシュルレアリスムの接点では、奇怪な合成より、妙に落ち着かない組み合わせ、少し不自然な距離感、説明しきれない違和感の方が重要になります。

マン・レイは、写真を『証拠』から『感覚の装置』へ変えた

マン・レイの写真を見ると、写っている物は普通でも、見え方が普通ではありません。《Noire et Blanche》では顔と仮面が並ぶだけで、親密さと異物感が同時に立ち上がります。

ここで起きているのは、現実の否定ではなく現実感のずらしです。写真が本来持っている確かさを利用しながら、その確かさを少しだけ疑わしくする。そこが、写真のシュルレアリスムの面白さです。

アジェの街の写真も、後から見ると夢の手前のように感じられる

アジェ自身はシュルレアリスムの作家として活動していたわけではありません。それでも彼の写真が後の前衛に強く響いたのは、人のいない通りや静まり返った店先が、現実なのに少し現実離れして見えるからです。

つまりシュルレアリスム写真は、意図的な奇抜さだけで生まれるわけではありません。現実を静かに見つめた結果、そこに潜んでいた不穏さや夢のような感じが前に出ることもあります。

写真では、光と切り取り方だけで十分にシュルレアルになりうる

絵画のように何でも描き足せないぶん、写真のシュルレアリスムは手数が少ないです。その代わり、光、角度、近さ、切り取りの強さがとても効きます。

人物の顔を少し斜めから撮る、仮面や人形を並べる、窓や鏡に反射を重ねる。そうした小さな操作だけで、現実の安心感がほどけていきます。手数が少ないぶん、違和感はむしろ鋭く残ります。

見るコツは、『何が変か』より『どこまでは普通なのか』を見ること

シュルレアリスム写真では、変な要素ばかり探すと少し浅くなります。むしろ、どこまでは普通に見えるのか、その普通さがどの瞬間に崩れるのかを見る方が入りやすいです。

写真は現実の証拠っぽく見えるからこそ、その証拠らしさが少し揺らいだときに強く効きます。その揺らぎを見つけることが、写真とシュルレアリスムのいちばん自然な入口です。

作品で見る

マン・レイ《Noire et Blanche》
Noire et Blanche / マン・レイ1926年
顔と仮面という静かな組み合わせだけで、現実感を大きく揺らす写真
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マン・レイによるアルノルト・シェーンベルクのポートレート
Portrait of Arnold Schoenberg / マン・レイ1925年頃
肖像写真でありながら、人物を少し異物のように見せるマン・レイの光の使い方がよくわかる
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ウジェーヌ・アジェ《Avenue des Gobelins》
Avenue des Gobelins / ウジェーヌ・アジェ1925年頃
静かな街路なのに、現実が少し夢の手前に傾いて見えるアジェの都市写真
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よくある質問

シュルレアリスムの写真は、必ず加工や合成を使うのですか?
必ずしもそうではありません。光や構図、組み合わせのずらしだけでも、十分に現実感を揺らすことができます。
アジェはシュルレアリスムの写真家ですか?
本人はそう名乗っていませんが、後のシュルレアリストたちに強く響いた写真家です。静かな街の写真が、夢の手前のような感覚を持っていたからです。
最初はどこを見ればいいですか?
まず『どこまで普通に見えるか』を確認するのがおすすめです。その普通さが少し崩れる瞬間に、シュルレアリスム写真の面白さがあります。

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