1905年、同じ部屋に強い色の絵が並んだ
1905年のサロン・ドートンヌで、マティス、ドラン、ヴラマンクらの作品が一室に集められました。肌や空を見たままの色で塗らず、赤、緑、青を強い面として並べた絵が、部屋全体を騒がしく見せたはずです。
批評家ルイ・ヴォークセルは、そこに置かれた古典的な彫刻との対比から『野獣(フォーヴ)』という言葉を使いました。展示を見た側の驚きから生まれた呼び名が、やがて定着したのです。
顔を肌色で塗る決まりを外した
《帽子の女》の鼻に緑が置かれたのは、照明の色を正確に記録するためではありません。隣の赤や黄色を強め、顔全体へ方向を与えるために必要な色として選ばれています。
この自由は突然生まれたものではありません。ゴッホの強い筆触、ゴーガンの平らな色面、スーラの色彩研究が先にありました。フォーヴィスムは19世紀後半の実験を受け取り、色の自立を一気に画面へ押し出した短い運動です。
作家たちは数年で、別々の道へ進んだ
フォーヴィスムの中心的な時期は、おおむね1904年から1908年頃までです。共通の綱領を持つ組織ではなかったため、作家たちは同じ色彩実験に長くとどまりませんでした。
マティスは装飾と空間の構成を掘り下げ、ドランはのちに古典的な方向へ近づきます。グループは短命でも、現実に縛られず色を選ぶ自由は、その後の表現主義や20世紀絵画へ残りました。
モネが見た色と、マティスが必要とした色
印象派も色の常識を大きく変えましたが、モネは時間や天候で移り変わる光を観察しました。マティスは、目の前の肌が緑に見えたかより、緑を置くと画面全体がどう動くかを優先します。
モネの連作では同じ対象の色が光とともに変わる点を見ます。次に《帽子の女》で、隣り合う色が互いを強める様子を見る。『見えた色』から『画面に必要な色』へ、目的の違いが実感できます。
近くで筆跡を見て、離れて色の塊を見る
近くでは、塗り残しや筆の速さ、隣の色と混ぜずに置いた跡を見ます。次に数歩離れ、赤と緑、青と橙の大きな塊がどこで釣り合うかを確かめます。
近くでは荒く未完成に見えた筆跡が、離れると顔や風景を支える色面に変わります。この往復ができれば、フォーヴィスムを『派手な色』という印象だけで終わらせず、色の配置として見られます。
作品で見る
よくある質問
- フォーヴィスムは印象派の続きですか?
- 連続性はありますが同じではありません。印象派が光の観察を軸にしたのに対し、フォーヴィスムは色をより意図的な構成要素として扱います。
- なぜ活動期間が短いのですか?
- 統一理論や組織的運動というより、1905年前後に集中的に起きた実験群だったためです。各作家は数年で別方向へ展開しました。
- 最初はどの作品から見始めると流れを追いやすいですか?
- 《帽子の女》とドランのロンドン連作を並べると、フォーヴィスムの色面処理の特徴が見通しやすくなります。









