鳥を見ていたはずが、機械の部品に見えてくる

細い棒の上に、くちばしを開いた四羽の鳥が並んでいます。ところが棒の右端にはハンドルのような形があり、鳥の脚も軸へ固定された部品に見える。目を左右へ動かすたび、生き物と装置の間を行き来します。

羽ばたいて飛べそうな鳥は一羽もいません。誰かがハンドルを回せば、決められた動きと声を繰り返すのでしょうか。愛らしい顔に見えたものが急に頼りなく感じられ、題名の『機械』が効いてきます。

薄い青には、止まり木も地面もない

背景の青は空のようですが、雲も地平線もありません。絵具は紙へ薄くにじみ、場所を説明する手がかりを与えないまま、四羽と一本の軸だけを浮かせています。

自然の鳥なら枝や地面を想像できますが、ここにあるのは細い装置だけです。余白が広いぶん、右端のハンドルが目につきます。静止した絵を見ながら、いつ動き出すのかと身構えてしまいます。

クレーは、バウハウスで教えていた時期に描いた

制作年は1922年。クレーはバウハウスで教え、線や色、形がどう働くかを考え続けていた時期です。細い線は落書きのように軽く見えますが、四羽の間隔や軸とのつながりは慎重に組まれています。

生き物が機械へ変わるのか、装置が命を持ち始めるのか。どちらかへ決着させないところに、この絵のユーモアと不安があります。簡単な記号だけで二つの読みを同時に保つ、クレーらしい仕掛けです。

声を想像する前に、一本の軸をたどる

右端のハンドルから左へ、横棒を目でなぞります。鳥の脚はどこで棒につながり、どの頭がどちらへ向いているか。一本ずつ追うと、四羽が自由に集まった群れではないことがわかります。

そこで初めて、どんな音が出るか想像します。ばらばらな歌声か、回転に合わせた同じ音か。耳のない絵から音を思い浮かべると、さえずりを楽しく感じるか、不気味に感じるかもはっきりします。

答えを決めないまま、二つの見方を残す

《さえずる機械》を鳥の絵と決めれば、ハンドルが余ります。機械の設計図と決めれば、四つの顔が見せる表情を説明できません。どちらかを捨てるたび、画面の別の部分がこちらを引き戻します。

鳥、歌声、回転、装置。少ない線から浮かぶ連想を、クレーは一つに閉じません。意味が定まらないことを欠点にせず、見続けるための力へ変えています。

作品で見る

パウル・クレー《さえずる機械》
Twittering Machine / パウル・クレー1922年
鳥のさえずりと機械の軸が同じ線に入ってしまうことで、画面が軽さと不穏さを同時に持ち始める
画像を拡大画像出典
ワシリー・カンディンスキー《黄-赤-青》
Yellow-Red-Blue / ワシリー・カンディンスキー1925年
抽象の秩序を強く押し出す画面と比べると、クレーが意味の揺れをどれだけ残しているかが見やすい
画像を拡大画像出典
カジミール・マレーヴィチ《黒の正方形》
Black Square / カジミール・マレーヴィチ1915年
同じ20世紀前半でも、意味を絞って成立させる抽象と、意味を開いたまま保つクレーの違いが見えてくる
画像を拡大画像出典

よくある質問

これは鳥の絵ですか、機械の絵ですか?
どちらか一方に決めない方が、この作品には合います。クレーは生き物と機械の境目が揺れる状態そのものを残しています。
バウハウスの作品として見るべきですか?
1922年のクレーを考えるうえでバウハウスの文脈は重要です。ただし理論図解のように硬く見るより、軽さと仕組みが同居する画面として入る方が自然です。
どこから見るとよいですか?
鳥の顔らしく見える部分より先に、全体をつないでいる一本の軸を追うと、この作品の不穏さが早くつかめます。

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気になったところから、もう少し

次に1本読むクレー入門:《さえずる機械》はなぜ“やさしくて不気味”なのか

四羽の鳥らしき形が一本の線に並び、右端にはハンドルがついています。回せば鳴きそうなのに、針金の足元には穴のような形が開く。クレーの《さえずる機械》は、かわいさと不気味さを片方に決めさせません。

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